3月13日に図書館に行ったら、荒井良二さんが描かれた『あさになったのでまどをあけますよ』という絵本が、目立つところに置かれていた。表紙の色合いの美しさにびっくりし、家に帰ってからじっくり見たら、もう腰を抜かしてしまった。「なんなんだ、この絵本はー!!!」と。
この絵本の初版第1版は、2011年12月に出ている。東北出身の荒井良二さんは、震災の後、何度も何度も被災地を訪れてはワークショップを開き、この絵本を描きあげられたとのこと。「なにげない日々の繰り返しの中にある、生きることの喜びを描いた絵本」といったレビューが多かったけれど、私は、何よりも、この荒井良二さんという人が、画家としてご自分ができることを選び、こういう作品に仕上げられたということに、心底感動してしまった。
どんなことがあろうとも、人は生きて、朝になったから窓を開けるというそんなささやかな行為も、自分で選ぶことができるんだよ。そう教えてくれているような気がしたのだ。
ちょうど今週は、4月から通ってくださる予定のお子さんのプレビジットがあった。プレビジットというのは、モンテッソーリ教育の環境が初めてだという子に、短時間、教室に滞在してもらい、ここがどういう場所であるかを体験してもらうというものだ。多くの子にとっては、この日が、その子の人生で何かを主体的に選択する初めての日でもあり、選択という行為一つをとっても、その子の気質やそれまで培われてきた環境との関係性(大人との関係性も含めて)が如実に表れて、教師としても、ものすごく勉強になる。
自由選択ということに不安を感じて、しばらくは自ら選ぶということができない子もいれば、1つ目を選んだら、とりあえずその棚にあるものを片っ端から選んでいくという子、一見選んでいるように見えて、本当にやりたいことはまだ選べていない子等、様々で、もちろんこれは善し悪しでなく、その子のスタートラインなのだと思っている。大事なのは、この子が大きくなった時に、主体的に人生を選択し、その子らしい生き方ができることであり、選ぶ練習ができたり、何かを選ぶという行為には、実はこんなに幅があるんだよ!というのを伝えてあげられたらいいのだと思う。
冒頭の荒井良二さんの絵に感動し、本の見開きを見えるように置いておいたら、この子は、引き寄せられるようにイーゼルの前に立ち、絵具で絵を描くということを、最初のお仕事として選んだ。ただ絵を描くといっても、画用紙を縦に置くのか、横に置くのか、絵筆は太いのか細いのか、色は何色を使うのか、1つ1つ丁寧に選んでいってもらう。(もう少し枠組みがしっかり決まったアートのお仕事もあるけれど、自由度の高低も、両方あるのがいいと思っている。)
絵具を使うこと自体が初めてであったというこの子は、1つ選択するごとに、びっくりしているというか、選ぶたびにほっぺが光って、ふわふわの髪の毛がふわっとして、そのまま羽が生えて飛んでいってしまいそう!といったら大袈裟だけれど(笑)、それくらい、何かを選んで自分でするということとの出会いに、目をキラキラさせている様子だった。
小さな子が「自分で選ぶ」と言うと、ちょっと間違えたらわがままのように聞こえるかもしれないけれど、最後までやり遂げるからこそ、そこにはおのずと責任もついてきて、使った道具は自分で洗わなくてはいけないし、子どもによっては、自分で描いた絵が気に入らないという別の問題に遭遇する場合もある。
でも、どんなことが起きたとしても、幼いうちに安全な環境で、思う存分色々なことを経験してもらえたらと思っている。大好きなお友達が選んだものを、後から後から真似して選ぶ子もいるけれど、それだって一度そういうことを経験してみて、その上で、本当に自分がやりたいことを選ぶということも体験させてあげると、発見があることもある。大人だって、ギリギリできるかできないかという大きな挑戦を好む人や、確実なことしか選ばない人など様々で、きっと社会にはそのどちらの人も必要で、それが主体的な選択であればあるほど、その人も身の回りの人も幸せなのかなって思うのだ。
春先に、思いがけず、素晴らしい絵本との出会いがあった「子どもの家」です。皆さんにも、この春、素晴らしい出会いがありますように!